バイトしながらいわて旅|ワーク&ステイ PROGRAM

実施レポート

[2025夏]株式会社高田松原(道の駅高田松原)

中村 海翔さん

一本松で始まり、陸前高田から続く。

中村 海翔さん

中村 海翔さん

滞在期間 2025/8/31~2025/9/15

「岩手」という地域のワーホリに応募しようと思ったきっかけは?
また、「道の駅高田松原」を選んだ理由は?

私が岩手の地のワーホリに応募しようと思った理由は2つあります。
1つ目は、私は出身が神奈川県と言うこともあり、両親も別の地方であるため、東北地方とはあまり縁がありませんでした。ただ、初めて東北で訪れたのが岩手県であり、今となっては自分の短い人生ながら大きく考えを変えていくきっかけとなった場所だからです。

2つ目は、地方の暮らしってどんな感じなんだろう?と純粋に疑問に思ったからです。現在は宮城県仙台市にある東北学院大学に在学をしています。正直、仙台は神奈川や東京とあんまり変わらないぐらい都会です。
ただ仙台から少し外れていくと、ビルの街並みではなく、緑や海などの自然と趣がある街が続きます。
今いる大学の立地的・就職実績的な都合のみを鑑みると、首都圏に戻ることも、東北地方に残る選択も出来るのです。どちらを選ぶべきか。それは就職先や進学先、今後のライフスタイルによって変わると思います。
ただ、今までビルや住宅街に囲まれた生活を19年続けてきた私からすると、東北地方で仙台以外の小さな街で暮らすということは想像も出来ません。やむをえなく、そういった場所に突然住むとなった場合、想像しても見当つかず。生活が大変とか聞くけれど、本当?と疑問に思ったり。「じゃあ体験しに行けばいいじゃん。」と思ったからです。

そして、今回、道の駅高田松原でのワーホリを希望したのは、先述の1つ目の理由と若干重複してしまいますが、初めて東北地方で訪れたのは、岩手県の陸前高田市だったのです。高田を訪れたのをきっかけに様々な出会い、機会などを経て、現在、私は大学での学修なども踏まえながら、学外で個人的に災害伝承のことなどを取り組んでいます。私にとっては高田は少し特別な場所なんです。
私情が少し含みましたが、その災害伝承にまつわる施設、東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアルは道の駅高田松原と併設しています。その横から、「この街ってどんな人が来ているんだろう。」と、すごいふわっとしたものですが、何か一時的に滞在して自分の活動に繋がるものなど、見えるものがあるかもしれないと思い、今回の受入先を選択しました。

受入先でのお仕事はいかがでしたか?

いつものアルバイト先はカフェレストランの厨房などで働くことが多々であり、レジでの勤務は初めてでした。最初は分からないことだらけでしたが、受入先のご担当の及川さんにレクチャーしていただき、周りのスタッフさんの手助けもあり、徐々にスムーズに業務を行えました。

レジに立っていると、たまに質問を受けることもあります。特に多かったのは、「一本松はどこですか。」といった質問でした。一般道で宮城県気仙沼市方面から来る際は、車内から一本松を眺められます。ただ、ここは私や勤務先のスタッフさんの推測ですが、逆の大船渡方面からや、高速道路から来る際には、車内から一本松を見れないため、そういった質問が多いのかと思います。

スタッフさんと一本松の話題になった時に、レプリカの建設費用はそれなりに掛かった話をされました。住まれている人たちにとって、当時は「うーん」と言った思惑もあったようです。それを踏まえて、住んでもいない第三者の拙い意見となってしまいますが、仮に私自身が陸前高田市の住民だとしても、当時の気持ちは、私も「うーん」と言った思惑になっていたと思います。
ただ、一本松を見に来る人が3月11日以外にも来ている人がそれなりにいることが、勤務を通して、分かりました。長期的視点として、奇跡の一本松の根底にある東日本大震災を風化させないための力にきっとなれているのでは、とレジ業務の接客で感じ、考えました。

お休みはどのように過ごしましたか?

勤務先からいただいた電動自転車に乗って、以前訪れることが出来なかった場所、町全体をぐるぐる回ったりしました。
またそれ以外には、仙台市に住みながらもですが、陸前高田市周辺の三陸地域には訪れる機会は多くはないため、以前訪れた方の元に訪れたり、新たに会ってみたい人に会いに行くなどしました。その中で、岩手県定番の美味しいお魚や、それ以外にも地元の方との交流があったからこそ知れたソウルフードなどを美味しくいただけました。

~中村 海翔さんのバイトしながらいわて旅~

本当に行ってよかったな、と思います。
自分が見えていなかったものやことを、この2週間、全く違う環境ながらも自分の関心のあるものと近しい生活だったから、気づけたことがありました。特に自身の活動のこと(災害伝承活動のことなど)が大きかったです。なかなかナイーブな話題だから、私一人でワンマンや、同業者だけで行っていることが多々でした。
そんな中、伝承館の中でこんな光景を目にしました。ドライバーの方だったと思います。2人組でしたが、とある展示の前で、「これを見せたかったんだ。」と。完全に推測ですが、そうおっしゃった方は以前にもここに来ており、誰かに展示を見せたいと思い、その誰かを連れて来たんだと思います。その光景を見た時に、「あれ、こんなこと、私にも出来るじゃん。」と、とっても後悔しました。

2年近くこういったことをやってきたのに、誰かを連れて来るっていうことを一度もしたことがなかったんです。「防災ってみんなで考えなきゃいけないよね。そのみんなを私は連れて来れてもないじゃん。いい意味で巻き込めてないじゃん。自分の発言が矛盾しているな。」と気づかされました。
しかしながら、言い訳みたいになっちゃうんですが、私も怖いんです。
全く東北にゆかりもない人が震災に興味あるって。被災地でもある東北でそういった発言を私がしてしまうことって、知らないところで誰かを傷つける行為になっちゃんじゃないかって。

けれど、みんなで考えることなのは事実。傷つけちゃうんじゃないかって、ある種、目を逸らし続けたら、きっとまたあの日のように、多くの人が犠牲になってしまう。もし、そこに自分の大切な家族、友人、好きな人などが含まれていたら。接し方は考慮が必要かもしれないが、勇気を出さなければ。自分も怖い。なんて言われるか分からないけれど、このことって自分の中だけで留めていては、きっとだめなんだと思う。知っているだけでも、何か変わるかもしれない。全てを言語化にし切れなかったけれど、この考えを持てたことがとても大きかったです。

陸前高田はいつも私に疑問を残させます。かつての防潮堤に対して疑問を持ったことも含め。ただその疑問を解いてきたから今があります。今すぐ解決することは出来なくても、それを次第に紐解いていけるような経験を自分なりでいいから、より積んでいきたいと思えました。

そして、東北で働くのは、車が必要だよなと、身をもって分かりました…。最悪自転車でもどうにかなる。ただ雨が降った時とかのその代替の交通機関がちゃんとあればの話ですよね。(今回はちゃんとありました。)
そういった面も気づかされました。でも何とか住めなくない気は実際に感じました。

2025/08/31


連日の災害伝承などの防災イベントが立て続けの中、8月最終日、16時頃に陸前高田に向けて仙台駅を出発。
この日は曇り。夕日が見れないなぁ…と思いながら、電車に揺られ、途中、小牛田駅、一ノ関駅、気仙沼駅、陸前高田駅で乗り換え。
陸前高田駅からは宿泊地最寄り駅まで残り数駅ですが、ここでも乗り換え。駅から明日の職場を遠目ながら見ることが出来ました。ただ真っ暗ですがね(笑) 

電車でゆらゆら向かっている時は、特に緊張や特別な気持ちはありませんでした。一人旅に慣れてしまったと言うか…(笑)
ただ職場、道の駅と津波伝承館を見た時、2つの感情が湧きました。
「3年ぶりに戻ってきた!!!!」まるで里帰りかのような感情ですが(笑)、なぜかそう思いました。 
そしてもう一つは、「明日からあそこで自分は働くのか」と、今更になって緊張してきました。もっと早くその気持ちにならんかーい!と突っ込みたくなりますが、ここでその心構えが出来たのでよし! 

そう思っているうちにBRTがやってきて、宿泊する場所へ。宿泊と言うより、「ここで14日も住むのか。」と思いながら。着いたのは22時になる前。明日も早いのでご飯を食べ、シャワーを浴びすぐ寝ることに…。

2025/09/01


初めての勤務日。
昨日はあたりが真っ暗の中だったが、「あ、ここから海が見える。」だったり、「あ、ここにも遺構があったのか。」と気づかなかったことも多々。
沿岸はカキ?などの養殖が行われている光景と陸前高田駅の目の前にある震災遺構を片目見ながら、職場へ。
この日は最初の手続きなどしながら、色んなところへご挨拶。この道の駅は複数の事業者さんと一緒に勤務するので、どこがどこなのか、なかなか覚えきれないものの、行く先々にご挨拶。

そして、業務へと。
業務内容は基本レジ。自分はいつもはカフェレストランの裏手で作る側なので、レジは初めて。慣れないながらも最初は一緒にやりながらコツを掴む。
ただ、気配りがとても大変。有料のレジ袋から、魚なども取り扱っていることから、保冷剤、保冷袋、そして、高田のサイダーやお酒などの瓶の緩衝材などの気配り…。気配りに頭がいっぱいで、「レジ袋の代金追加したっけ…。」となったりしながらも、自分なりに頑張りました。

休憩時間は、ご飯を食べてすぐ、復興祈念公園内をカメラを持ちながら少し散歩。懐かしい気持ちに浸りながらも、木々の奥にある海を臨む場へと足を運びました。

向かっている時は初めて来た時のことを思い起こしながら歩きました。
この地にまたこういった形ながらも帰ってくるとは、3年前の自分は思ってもいませんでした。
あの日はこの場所に圧倒されながらも同じ学校の人たちとパークガイドの方に案内していただきましたが、今日は“一人”です。少々寂しいです。

ただ、自分の思う存分、この町を回れることにもわくわくしながらも階段を上り、防潮堤の上に。今日はお花が一束置いてありました。

そして、当時はガイドなどの都合もあり、行けなかった高田松原へと。

あれ。大きくなった?と思いました。
3年前の写真を見返すと、一目瞭然でした。それと同時に3年前ってちょっと前のように感じていましたが、そんなことなく、長い月日が立ったことを成長した松から感じました。

松原を抜けて、浜辺へ。
海です。綺麗です。

休憩も終え、勤務を続けるものの、この日は、仕事を覚えながらも、どうすれば上手い感じに出来るのか…?と悩みながらも、なんとか勤務を終えました。

道の駅高田松原では、通勤は電動自転車を貸してくださいました。
「冒険してください!」とのことでしたので、帰り道から小さな冒険。

かつてはバスで目の前を通ったものの、震災遺構 下宿定住促進住宅(以降、住宅跡と指す。)周辺をぐるぐる見ることに。住宅跡では、5階建てのうち、4階まで完全に津波に飲まれ、5階は一部が津波到達。津波到達点が示されていますが、4階までは建物のベランダの手すりが全てないことからも津波が来たことと同時に、改めて津波の恐ろしさを体感。

周辺には、写真のようなへこみ?が。これはなんだろう。
多分かつての道路かな…?でもなんで残したんだろう。

疑問に思いながらも、帰宅。

2025/09/02


この日も勤務日。
この日からは電動自転車での通勤。かつては高校に通うときに最寄りの駅まで自転車を使っていたものの、市街地で人も多く、注意をかなり払わないといけないので、運転が大変でした。ただ、陸前高田は苦にならないほど快適に通勤できました。

さっそく勤務!ただ、まだまだ慣れず、及川さんからお手本を見せていただきました。
「いらっしゃいませ!」元気な声でお客様をまずは受け入れ、接客。及川さんは以前、東京などで営業のお仕事をされていたらしく、「元気な挨拶をすることで、掴みというかこっちの流れに持っていきやすくなるよ。」とのアドバイスを。
さっそく挑戦!すると、昨日よりは頭がぐるぐるすることは少なくなりました。ただ、まだまだ気配りまでに頭が回り切れず。お魚を袋に分けるなどし忘れてしまうなど…まだまだ特訓が必要です。

少しずつ慣れながら仕事をし、お昼ご飯。
昨日も本当はありました!(ただ撮り忘れてしまった…痛恨のミス。)

この日は赤い海鮮丼を。
旨い!私情がすごい漏れますが、東北の魚、めっちゃ好きなんですよ。
仙台だと牛タンがありますが、牛タンより好きです。

食べ終えて、今日も少し散歩。
かつての道の駅高田松原、タピック45(震災遺構)を見に行きました。
もし震災が無かったら、ここでワーホリしていたのかな。震災が無かったら、きっと私、東北に来るきっかけもないから、多分ワーホリにも来ていないかも。

とかいつもとは違う視点で自分のことを考えながら、この日は遺構を見ました。

休憩を終えて、引き続き勤務。
この日は、接客中、ふとしたタイミングでツアー中のようなお客様からこんな質問が来ました。
「ここはいつからあるの?」私は、かすかな記憶でしたが、「5年程前から」と答えました。
ここは概ね合っていますが、そこから立て続けに質問を受けました。ただ、どうしても分からないこともあったので、「すいません!地元はここじゃないもので!」と答えました。ただ、ここのレジに立っていると、陸前高田に住んでいる方なんだなと思われるのは必然だよなぁと思いました。

途中ツアーらしきお客様が入ってくると、店内が少々忙しくなることはしばしば。ただ、最初の及川さんのレクチャーもあり、隣の他の事業者さんのレジの方とも軽くお話をしながら、勤務することが出来ました。

この日も無事勤務を終え、この日は震災遺構 気仙中学校へ。
ここは、道の駅からも遠くながら見えるのですぐ行けるかと思ったら、一部は道の規制などもあり、少々遠回りしながら、遺構の前へ。
ここもタピック45のようにパークガイドの方がいないと中には立ち入れないので、外周を回る形に。気仙中の周りも3年前と比べて大きくは変わっていませんでした。
でもまた“一人”かぁ。ここも高校の時に来ました。
一人旅は好きなんです。けれど、lなんだろう。このよく分からない寂しさ。
分からずじまいながら、帰宅しました。

2025/09/03


3日連続勤務の最終日。
昨日の及川さんのレクチャーを最初から実行出来たことにより、どんどん自分なりに最初以上に手ごたえを覚えるように。ただ、こういった時はどう接客しようか…など悩む時は、上手い人(周りは経験者だらけですので)を真似る!それを意識しました。この日はそれもあり、最初の日ほど詰まったりすることはなく、ある程度余裕が持てるくらいスムーズに。

この日のお昼は、前日にスタッフのオオサワさんに勧められた唐揚げを。
タレは3つから選べるとのこと。そこには、陸前高田市内にある、バイトしながらいわて旅の受入先の一つでもある「八木澤商店」の名前が。こういったところでも繋がっているのか!と思いました。
唐揚げはカリっとしており、タレとの相性もよく、双方の味を楽しみました。

そして、道の駅にある「すなば珈琲」では、スタッフ割でいただけるとのことだったので、何か頼んでみることに。
この日は抹茶ジェラート。美味しくいただきました。

午後の勤務では、バイトしながらいわて旅に応募した際のプロフィールシートの内容なども踏まえ、及川さんの生い立ちのお話などをお聞きしました。「東北沿岸部だと他にどこに行ったことがある?」といった話題になった時に、福島のことをお話ししてくださいました。及川さんの奥様は、福島県いわき市ご出身であること、原発などで精神的にも大変だったことを、苦しそうに、どこか目から涙がこぼれそうに語ってくれました。
あまりその点を深く私から聞き返すことはありませんでしたが、私は、宮城県など幅広い地域で活動されている語り部の方がおっしゃっていた、震災の事を語れない人や、話すことがつらい人がいるという、お話を思い出しました。その話自体には、納得はしていました。ただ、本当にそういった場面に遭遇することは今までありませんでした。語り部の方の話で聞いただけでなく、ちゃんとそういった思いの方がいるということを、及川さんとお話ししながら実感しました。

及川さんは、それと同時に仕事で本当に大切な3つのことを話してくださいました。
アルバイトの仕事というより、就職してからといったイメージの話だと思います。3つ全ては想像はつきませんでした。
1つだけは何となくですが、想像出来ました。それは依存から抜け出す勇気です。
仕事的観点で想像したというより、自分の学外での活動になってしまいますが…。

「災害伝承って、東北の人に依存していない?」(私の中では作り言葉、「東北依存」って言っています。)って私は時々思っています。災害伝承という防災カテゴリーって、東北の人だけが関係あるかと言うと、そうではないと思います。
防災って、みんなが、みんなで考えなきゃいけないはず。なのに災害伝承は、同じ防災カテゴリーでも、それを勝手に東北の人に限ったり、または本当に制限したり。また、語る機会があっても、一部では、応募対象は東北地方で被災した人に限ります、といったものもあります。制限するのは別にいいんです。じゃあその条件を満たさない人へ向けた場所、機会って用意しているんですか?そうではないところもあります。
それって東北依存だし、むしろ防災の様々な可能性を自ら捨ててしまっていないか?と思います。
でも東北で被災した人の方がみんなが想像しやすい話をしてくれるなど、様々な面で都合がいいのかもしれません。色んな事情があるとは思うんです。だから一方的に否定とかは出来ないです。
けれど、自分の中でもこの考えはどこか、もやもや。災害伝承って簡単なようでとても難しい…。

2025/09/04


この日は、高田に来てから初のお休み。
この日は、私が陸前高田に以前来た時にお世話になった、村上洋子先生という方にお会いすることに。
お会いしたときは、私はまだ高校1年生でした。当時、震災に関心があったというより、東北ってどんな場所なんだろう?とずっと気になっていたので、行ってみたかったという気持ちのほうが強かったです。そんな意思で行ったものの、洋子先生と高田の町は、私に色んな学びを与えてくれました。
津波てんでんこの釜石東中学校でのことや、私の出身の神奈川では見たことのない、壁かのような防潮堤の意味。全ては理解し切れず、正直一部は疑問に思いながら帰ったのを思い出します。その疑問とかは、洋子先生にメールで聞いたんですよね。当時の自分、よくメール送れたな…と、自分にちょっと感心。
そんな回想をしながらも、道の駅で合流。村上ご夫妻のご厚意で、陸前高田の中心部のお店へと。

駐車場からお店へ向かうときには驚くことが。ご夫妻が歩くと、色んなところに手を振ったり、挨拶が続くのです。
3年前お会いした時は高校でワークショップを行っていただいただけでしたので、ご夫妻がどういった方なのかまでは想像はついていませんでした。ただ、受入先の及川さんに、洋子先生を知っているということを伝えると、「自分も知ってます!中学生の時の自分の学校の先生でした!」や「洋子先生を知っているなら大丈夫」と言われました。なんでなんだろう?と思っていましたが、その光景を見た時に少し理解出来ました。

さてお店へ。お店は「中華食堂 熊谷」 
ご夫婦は、どうやらここの冷やし担々麺にハマっているらしい。

せっかくなので、そちらを食べることに。
着丼。冷やし担々麺は実は初めて。早速すするぅ~。
うまい!!魚ばっかり食べていましたが、高田のソウルフード、恐るべし。しかし、じわじわと辛さが襲ってきます(笑)でもちょうどいい辛さ。そりゃハマってしまう…。
ご飯を食べながら、バイトしながらいわて旅のことをお話したり、同時に現在の高田の様子などをお聞き出来ました。

昼食を終えたら、ご夫婦ともお別れ。
受入先の及川さんもせっかくなら会えればと思ったが、この日は都合合わず。洋子先生が、復興祈念公園の活動をしに来る際にもう一度お会いすることに。

その後は、津波伝承館を見に行くことに。
当時は、一生懸命話を聞いてメモするだけで精一杯だったなぁ…と思い出しながら、展示されているパネルを見ました。

当時は津波のことで、頭がいっぱいでしたが、今回は津波以外のことにも目を向けてみてみました。
あの日、内陸では土砂崩れなどもあったことを、見ながら思い出しました。自分の高校の後輩が東北地方にご縁があるらしく、そこで土砂災害があったことは聞いていましたが、どうやら県内最大級だったのをここで知りました。もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと後悔。後輩元気しているかな。あぁ、また寂しくなっちゃった。

パネル以外にもシアターなども館内にはあります。ただ、時々泣きそうになっちゃうんですよね。なんでなんだろう。それも分からない。涙を堪え、ぐるぐる見ました。

途中から、修学旅行又は校外学習の学生さんが来ました。入口には伝承館の募金箱があります。
見終わった後、多くの学生が募金していくんです。しかも100円とかじゃなかったんですよ。1000円とか。「えぇ!」と思ってしまいました。多分お土産代とか限りあるだろうに…と感心しました。それと同時に、自分はしていないなと反省しました。
伝承館の中にいるだけでも、解説員の方だったり、また来館している人からの行動、色んな学び、気づきがありました。

2025/09/05


休み明けの勤務。
ただ、この日は朝から強い雨。勤務に向かう頃には、弱くはなっていましたが、警報レベル。なぜかと言うと、台風。
そのため、この日はいつもよりは店内は落ち着いていました。
この日も最初のレクチャーをしっかり意識。たまにここどう言えばいいかな?などの言葉遣いの問題は、周りの方を見て、真似るを徹底。

無事、休憩へと…。
この日は、よくばり丼を実食。陸前高田のカキやっぱりうまい!と思いながらもぐもぐ。
そんな昼食を満喫していた中、休憩室のテレビでは、台風の影響で静岡県の地域で突風被害のニュースが。
東北でも大雨だったが、東海地方ではここまで被害が大きいとは。台風大丈夫かなと思いながらも勤務に戻り、この日も無事終了。

この日は及川さんのご厚意で、たかたのごはんのだし巻き卵、たかたむすびをいただきました。
夕食に実食。(追加でマスカットサイダーとチョコQ助を買いました。)

やっぱりカキが旨い。昔、そんなにカキ好きじゃなかったのに。カキにハマってしまいそうです。
だし巻き卵もちょうどいい味。美味しい夕食を食べ、寝ることに…。

2025/09/06


2日連続勤務。
この日も好調に勤務を。レクチャーがだいぶ身についてきました。ただ、まだ割れ防止の緩衝材をつける時は手こずっちゃう。頑張っていこう。

この日の休憩は海鮮フライカレーを実食。
エビ旨い!食レポが下手くそなのがぼろ出てきているような。私、ずっと旨いしか言っていない気もしますが…(笑)一人暮らしだとサクサクの揚げ物はなかなか食べられないので、美味しくいただきました!

そして、この日のすなば珈琲はキャラメルウインナーに挑戦。
少し大人の味でした(笑)

休憩も終え、勤務をしている最中でした。
「奇跡の一本松ってどこですか?」スタッフの方が簡単に案内をしてくれましたが、意外と駐車場などから見えず、どこにあるんだろう?となっている場合もあるらしく、新たな気づきでした。

無事勤務を終えたものの、他のスタッフさんとのお話やレジ打ちが楽しくなってきて、迷惑にならない程度に、少々長く滞在しました。そして、この日は他のスタッフさんがおすすめする木村屋のアップルパイを購入。明日の朝、挑戦します。

この日の帰り道は、月と夕日が綺麗でした。

2025/09/07


この日はお休み。
ただ、別件があるため、この日、一度帰仙します。

ゆっくり起きて、さっそくアップルパイ。
このアップルパイ、実はいい値段するんですよ。なんと595円!まあまあなお値段。さてお味は…旨い!(何回目でしょうか。)あんまりアップルパイ、好んで買わないんですが、これなら是非!という味でした。

一応お休みではあるので、少し陸前高田の中心部をぶらぶらしてから、仙台に向かうことに。
中心部には、震災遺構として残された米沢商会ビルだったり、追悼施設が。
そしてその背後には、新しくなった街並みが広がっていました。

特に気になる建物を発見。
ほんまるの家。
誰でも使えるらしい。今日は時間的に難しかったので、また時間がある時に来ることに決め、仙台へと向かいました。

ちょっとぶらぶらし過ぎたのか、仙台に着く前に日が沈んでしまいました!(涙)

2025/09/08


まさかのバイトしながらいわて旅に参加中なのに、仙台の話が出てくるとは!

この日は、日ごろから活動している、一般社団法人いわて圏などが行っている、「宮城と岩手の地域づくり人材育成プログラム 宮手圏つながりカレッジ2025」の最後の会。
バイトしながらいわて旅で陸前高田に滞在中でしたが、行けるなら!とのことでまさかの途中帰仙。いつも通り行ったら、「あれ?中村君来れないんじゃなかったの?」と。元々は行けないと申告していたので、うっかり。「頑張って帰ってきました!」と伝えたら、びっくりされました(笑)

最後の会では、全体の振り返りと、いわて権(南いわてでの活動のための交通費を申請できる権利)の獲得を巡ったゲームを。で、なぜか優勝してしまいました。なので今回帰仙した分も、ある意味キャッシュバック成功(?)
来月はこの関連での懇談会もあるので、そこにも挨拶したり…そしてそんなことをしていたら、あんまり話せていない友人が残っていたので、待っていたら、今後の活動のことなども色々お話を聞けたりしました。そもそもみんながいるときは話せているが、2人で話すことはほぼなかった友人だったので、色々話せて嬉しかった。
そんなルンルンな気持ちで陸前高田へと戻ります!

2025/09/09


戻ってさっそくですが、勤務です。
この日も無事に前半の勤務を終え、休憩へ。
この日はリアス丼。さっそくいただく。ホタテとめかぶの相性が抜群。旨い以外の食レポに挑戦しました(笑)

さてこの日のすなば珈琲は、コーヒーソフトクリーム。はっきり申し上げましょう。こんな美味しいもの食べたことありません。まじで旨かった。(また旨い使っている。)コーヒーのアイスって何気にあまり見たことがなく、それもあってかかなり高評価。

美味しいものを発見し、ルンルンなものの、休憩後、私、とんでもないミスをしてしまいました。
レジ打ちをし終えるお客様から、「あれ、半額は?」と。あれ、あれれ。半額のシールが貼ってあるのに、機械のボタンを押していない!!謝罪をし、慌ててやり直し。たまたま全て、半額の商品だったので、お客様が気づいてくださいましたが、間違えれば、大アウト。レジ打ちが続くと、たまに半額や2割引きを見落としてしまいそうになるので、ちゃんと注意しないと。
それ以降は、大きなミスもなく、勤務終了。この日も迷惑にならない程度に、ちょっと長めに滞在。

少々暗くなってしまいましたが、伝承館を見ると、少し上の白い壁が光っていました。あの光。いつもは黒点なんですが、何のための黒点でしょうか。まるで音楽室の壁のようですが、それがモデルではありません。これは震災の犠牲者の数だけ点があるんです。夜になると点灯するよう、追悼の思いが建築意匠に組み込められています。かつてはこれに憧れて、建築関係の大学に行くとも考えました。懐かしい。これも一つの災害伝承の形だと私は考えています。

なかなか夜の風景を見るのも宿泊しないと難しいので、これもバイトしながらいわて旅の魅力?と思い、また明日!

2025/09/10


この日はお休み。
予定が1つ、仮設住宅の見学である。早速見に行くことに。
見学と同時に案内もしていただけるとのこと。

案内してくださった方は、当時は仮設住宅での生活はしていなかったが、身内の方で仮設住宅での生活をしていたらしく、遊びに行く場所だったよう。ただ、うるさいとやっぱり怒られた記憶などはあるそう。当時、すぐには玄関という玄関もなかったらしく、後付けだったり、部屋の電気のスイッチが変なところにあったりと、当時は、スイッチをつけるだけで精いっぱいでここにつける違和感すら感じられないほど、一杯一杯だったのでは、といったお話を聞きました。

また中には、かつての陸前高田の上空写真、奇跡の一本松(本物)の写真が貼ってありました。
日本で唯一の、仮設住宅を見学や体験そして、宿泊もできる施設が、陸前高田にはあります。

見学を終えたら、建築めぐりスタンプラリー!
紙に押すのではなく、気仙杉の木がスタンプの台紙に。なんと画期的。

さあスタンプを…押しに行く前に、昼食。冷やし担々麺です。
少々ハマってしまいました。
この日は餃子と合わせて、美味しくいただきました。

お腹を満たし、スタンプを各地押しながら、陸前高田市立博物館にも。
博物館も伝承施設として認定されており、津波伝承館には、「命を守り、海と大地と共に生きる」という言葉が掲げられています。

なぜその言葉を掲げたのか。
それはこの市立博物館を併せて訪れることで分かると私は思いました。3年越しにこの言葉の意味がはっきり見えて、来てよかったと思えました。

スタンプも箱根山以外は行くことが出来、箱根山は場所的に断念…。ただそこには綺麗なカフェがあり、次行ける時、行ってみたい!!

残りの時間は、ほんまるの家でデスクワーク。
こんな場所が仙台にもあったらなと思いました。大学生専用とかはあるんですが、誰でもとは、画期的だと感じました。

2025/09/11


この日は勤務日。
大分慣れてきた頃。ただ、割引シールに油断してはいけない。うっかりしそうになりましたが、この日も無事勤務出来ました。

休憩では、たかた丼を。(最初の日に食べたのもこれです!)
やっぱりカキ旨い。うますぎる。
そして、コーヒーアイスを。

贅沢な昼を過ごしたものの、東京や神奈川ではとんでもないゲリラ豪雨が。ニュースになるレベルでまた台風かと思いました。不安で親に「大丈夫?」って聞きましたが、うちの地元も一時はかなり降ったそうでしたが、大丈夫とのこと。
安心し、勤務も無事に終えました。

2025/09/12


この日はお休み。
この日に、洋子先生ともう一度お会いすることに。
実は、少々予定が合わないかもといった感じでしたが、前日が雨で予定などが変わり、無事会えました。
この日は一度帰仙した時に、高校の時の資料などを持ってきて、思い出話。及川さんも途中から合流して、及川さんの中学の思い出話も聞けました。
そして、みんなで写真を!
このメンバーで写真を撮ることも不思議な縁ですが、いい思い出。

さて、今日はここから釜石に行きます。
BRTで綺麗な海沿いを走りながら…。

その前に、大船渡で少し寄り道。
防潮堤に描かれたポケモンアートを見ながら、少々小走りで盛駅に。

かわいいポケモンをうっとり見ている場合ではありません。
何故なら、この電車を逃すと次は2時間後。なんとしても乗らないといけません。
何とか無事乗車し、また海沿いを走りながら釜石駅へ。

そこから、もう少し奥へ奥へと進んでいきます。
今度は緑が濃くなってきました。

そして、釜石市内の鵜住居(うのすまい)と言う場所に到着。

ここは、洋子先生からお話をしていただいた、釜石の奇跡の場所です。
※震災当時、鵜住居小学校と釜石東中学校にいた児童・生徒約570人が、全員無事に避難することができました。これは「釜石の奇跡」と呼ばれています。

想像しながら、実際のルートを歩いてみました。

あの日、どんな思いで道を進んでいったのか。

途中には「あなたも逃げて」と刻まれた震災祈念碑も。

振り返った時、どんな風に町が見えていたのか。
全部想像しか出来ませんが、手元の地図と記録を読みながら、町を眺め、歩きました。

そのあと鵜住居駅まで戻り、いのちをつなぐ未来館に行きました。
ここでは川崎さんという、釜石の奇跡と呼ばれた、津波からの避難を当時の生徒側で体験した方とお話ししました。実は他にも様々な縁で釜石の奇跡を経験された方がおり、その方のご協力の元、川崎さんとお話出来る機会をいただきました。皆さん、お忙しい中、お時間を割いていただいたこと、感謝申し上げます。
伝承の考え方も様々であることをお話を通して、考えさせられました。

帰りは、真っ暗ですが、電車でお弁当を食べながら、帰りました。せっかくなので、カキフライのお弁当を買ったのですが、岩手産じゃなかった。岩手のが食べたい~(涙)

2025/09/13


ついに勤務も残り2日。
今日からは、なんと3連休です。忙しくなりそう…。これまでの集大成、なんとか乗り越えました。ただ、3連休だと、明日、最終日が本番とのこと。どうなることやら…と、とても緊張。

そして勤務後は、陸前高田市に住む高橋未宇さんとお会いしました。
高橋さんとは、私が最近行った災害伝承のグループで、「陸前高田に2週間います。」と言ったら、会ってみたいと言ってくださり、会うことになりました。
高橋さん、すごい聞き上手。すごいなぁ…と思いました。自分は、ばーって喋っちゃって、「あれ?何言ってたっけ」とかよくなるタイプ。そんな自分に寄り添いながら、丁寧に話をまとめてくださるので、短い時間ながら、色んなことを互いにお話しすることが出来ました。

高橋さんは車いすユーザーの方で、福祉の視点から伝承や防災の活動をされています。
大学では健康と福祉の領域もあるのですが、私は入学当初あまり関心を持っていませんでした。ただ、防災って全部と繋がっていて、車いすユーザーの方や、体が不自由な方はどう避難するのか。そういったことも含めて福祉領域をこれから学修したいと思い、この日は帰宅。

明日は勤務最終日。寝る前、少々悲しくなってしまいました。

2025/09/14


最終日となりました。
何とか無事、途中ミスしかけてもリカバリー出来、勤務も終えました。この日はお客さんはかなりお客さんも多々。食堂も満席になるほどの盛況でした。列がどんどん出来ていった時は終わったかも、、、と思いましたが、2週間の勤務の甲斐か乗り越えられました。この日は明日は帰宅となってしまうため、自転車でなく、バスで帰宅。色々喋っていたら、外は真っ暗に。

明日はどうしよう。一本松にそういえば行っていないことを思い出しました。
明日はそこに行こう。そう思って寝ました。

2025/09/15


さて、本当の最終日。
部屋の片づけなど済ませ、一度陸前高田市内へと。
お昼ご飯を食べ、道の駅高田松原でお土産を買い、一本松を見ることを想定。
ただ、想定外のアクシデント。お昼ご飯を、またまた中華食堂 熊谷で食べようと思ったが、大行列。これは流石に…と思い、別のお店を。
そこでカキ小屋のお店を発見。岩手のカキフライが食べたいと思っていたので、思いきって入店。

美味しいカキフライが出てきました。
ごはんもカキなどが入っており、とても美味しかったです。

カキフライを食べたら、今日は自転車でなく、徒歩で高田松原の方へと向かいます。

そういえばここも来ていなかった!と言うところにも途中立ち寄り。
陸前高田と楽天イーグルスって関係ある場所なんだと知りました。今月末には実はオープンキャンパスのお手伝いメンバー(といっても30人近くとかなり多いですが)と初楽天。そういうのもあるのでわくわく。

最後、道の駅や国営公園の人との会話も楽しみました。
まもなく帰宅時間。このBRTに乗らないと仙台に帰れなくなります。
そんなギリギリまで道の駅でお土産を買い、高田を最後まで満喫させていただきました。

辺りも大分暗くなり、帰りのBRTがやってきました。
ただ、この辺りで本来、この日は一本松に行こうとしていたことを思い出しました。あれれ…やってしまったというよりも、自分の中では、この町で一本松以上のものを見つけられましたし、最後の日にそれに気づかせてもらえました。

いつからか、ずっと震災のことばっかり追いかけていました。東北地方の大学に進学した自分の中での使命だったからこそです。けれど、そこで何かを失いかけていたと思います。その何かってずっと良く分からずじまいだった気がします。でも、何となく見えた気がするんです。大学で遊んだりとか、根底にあるそもそもの日常。陸前高田での短いながらも2週間での日常と、様々な出会いはそのことを教えてくれた。

高田を離れるのは寂しいけど、また少しでも変わった自分で来れるように。
仙台での生活を頑張るだけでなく、もっと日常を楽しもう。また来るよ。待っててね。陸前高田。

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